美術展レビュー「佐伯祐三特別展〜自画像としての風景」

2023年4月3日


自分と佐伯祐三の作品との出会いはいったいいつだったのか?代表作の《郵便配達夫》はおそらく高校の美術の教科書で見ていたと思う。もっとも、それは教科書の中のただの一枚で作者の名前を記憶することも、心に残ることもなかった。

おそらく出会いは京都で過ごした大学時代。今出川だか出町柳の古本屋か喫茶店、学生のたまり場に飾ってあった何気ないパリの風景。エロいこと以外に興味はない当時、美術や絵画に興味をもったこともなかったにも関わらず、見た瞬間に惹かれた。街角の細かい文字がでびっしり埋められた広告。《ガス灯と広告》という作品名と佐伯祐三の名前を初めて知ったのは、その時だったと思う。麻雀とエロスとバイオレンスの毎日(嘘)の中でほんの少し、印象に残った作品だった。

さて、時は流れて現在。エロいことも散々やり尽くしたし、年相応に落ち着くように見せなきゃいけないし、美術展でも見て回るか、佐伯祐三との再会である。

この美術展の副題。”自画像としての風景”。図録の解説に彼の親友山田新一の言葉が紹介されている。

「佐伯の絵はどんな構図を描こうと乾いて鋭く尖った彼自身の痛々しいほどの透明さを感じさせる」

彼の描く画そのものが彼を表現する彼自身の自画像である。そして彼をもっともよく表しているものが風景。それは彼の風景画に惹かれた理由と重なるものがあった。

さて佐伯祐三。知らない人もいるかもしれないが、日本の洋画史に残る天才であることは疑いようがない。自画像や残された写真からは相当のイケメンだとわかる(←重要)。1923年に東京美術学校を卒業し、1928年に30歳の若さで亡くなるまで画家として活躍した期間は約6年。まさに早逝の天才画家。

そして彼を語る上で欠かせないエピソードが野獣派のブラマンクとの出会いである。

美術学校を卒業しパリに渡った祐三は野獣派の巨匠ブラマンクを訪れ、自信作の裸婦像を彼に見せる。しかし、それを見たブラマンクは激昂し「このアカデミックめ!」と祐三を激しく痛罵する。教科書通りで個性のない祐三の絵はブラマンクにとって芸術への冒涜と写ったのかもしれない。この出来事にショックを受けた祐三はこれまでの自分の打ち壊し、自分自身の絵を模索していくことになる。

ブラマンク《シャトーのセーヌ河》

野獣派。光の加減で変化する上辺の色彩ではなく対象が持つ固有の色彩を表現しようとする。原色を使用した強烈な色彩が特徴。

この美術展では美術学校時代から彼の死の直前までの作品が網羅されており、ブラマンクとの出会い以降の変化も実際に見て感じることができる。彼の短い画家人生の中で画風は目まぐるしく変化していく。さながら彼が自分の絵を模索する姿を追体験するかのように。

佐伯祐三《ガス灯と広告》
佐伯祐三《コルドヌイ》

ブラマンクとのエピソードのその後がこの美術展では少し紹介されていた。祐三はその後もブラマンクのもとを何度か訪れ、後に彼は祐三の作品を「構図は凡庸だが色彩は非凡なものがある。」と評価している。ブラマンクに怒られたことだけが有名になった祐三だが、最終的にはブラマンクにも少なからず認められたことはもっと知られてもいいと思う。

コーヒー飲みながら図録で展示を振り返る時間はまさに至福の時。絵画と釣りとEDに一緒に向き合ってくれる嫁募集。