映画レビュー8.”あなたの名前を呼べたなら”

2020年4月11日


お金持ちの御曹司と住み込みメイドの身分違いの恋という、ありふれたテーマでストーリー自体はそんなに奇をてらったところもない。これがディズニーアニメなら美女と野獣でもオークでも陰獣でも最後は結ばれてハッピーエンドになるんだけど、インド映画でやるとそう簡単にはいかず、最後はハッピーエンドではないけれど、主人公のラトナが確実な一歩を踏み出すという希望を繋ぐラスト。

この映画の原題は”Sir”。ラトナは主人であるアシュヴィンを常に「Sir」(ご主人様)と呼ぶ。プライベートな会話でも常に「Sir」。そこには主人と召使という関係性以上にラトナ自身が作った壁があり、その壁はインドの文化に根差す分厚くて頑丈で固い壁になっている。

お金持ちに見初められて貧乏な少女が成り上がるシンデレラストーリーでは王子様はいつも傲慢で無神経。この映画でも類にもれず、建設会社の御曹司のアシュヴィンは貧乏なラトナに高価な贈り物をして気をひいたり、周りが2人の関係を疑っても「誰にからかわれても構わないじゃないか!」と開き直る。だけど、ラトナにしてみれば周りからの好奇の視線は恐怖でしかない。

インドの差別は日本とは比べ物にならないくらい根強い。作中でもメイドが人間扱いされていない描写が何度も出てくる。アシュヴィンはラトナをその状況から救いたいと願い、ラトナはその状況を当たり前のもとして受け入れている。そしてアシュヴィンはその違いを理解できない。ラトナにとってはどんなに好きになったとしてもアシュヴィンは「Sir」でありその関係が変わることはない。

この映画では2人は結ばれない。

これ以上、主人とメイドの関係が維持できないと考えたラトナはアシュヴィンの元を去り、2人はそれぞれの人生を歩み始めることになる。ラストシーン、自分の人生の道筋を見つけたラトナにアッシュヴィンから電話がかかってくる。ラトナは電話をとり、ゆっくりと考えてから力強く答える

「アシュヴィン…」

ここで映画は終わり、これからの2人がどうなるかはわからない。でもその余韻がこの映画を印象深いものにしている。

踊らないインド映画という新発見。