言語を学ぶということ

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“言語を学ぶことこそ世界平和への道や"

これは僕の主義なのですが、世界中の街という街に愛人を作ってどこもかしこも自分の家族だらけにしてしまえば、それはもう戦争なんてできんやろ、という主張ではありません(いや、結果的にそうかもしれないが)。

もっともっともっとそれ以前の、

”コミュニケーションこそが相互理解には重要である”

という当たり前の話です。

もともと僕も学生時代はバックパッカーの真似事をしていたので、他の人の旅行記やブログをよく読む方だと思います。

ただ、海外旅行記でよく見る↓こんな感じの文章。まあ定番と言えば定番なんですが、

「わずか数日の滞在で言葉も通じなかった。しかし僕たちの間には確かな心の交流があった。別れ際の村人たちの微笑みをずっと忘れることはないだろう。」

だいたい間違ってます。大きく間違ってます。多分、交流なんか欠片もできてません。書いた人が微笑みだと思ってるものは

「あー、この日本人いつも1本だけ長い鼻毛出てるよ。めちゃ笑えるんだけど、日本の文化かもしれんし、黙っておこう、しかし笑い堪えるの大変だわ。」

だいたいこんなもんですわ。

言語も通じない相手の思ってる事を自分の想像で作りあげたとて当たるわけもなく、カタコトでも言葉を交わせば少し相手の考えていることを想像するヒントができる。

そして言葉を交せば交わすほどに相手のことがわかる。それはもう絶対真理なわけです。そして、それはまさに僕が語学の勉強を始めるきっかけになったわけです。

僕の言語を学びたいという欲求の根本には

”もっと相手のことを知りたい”

この気持ちがあったと思います。

僕は黙っていても相手が自分に興味を持ってくれるほど恵まれた容姿の持ち主でもないし、どっちかと言えば恵まれた容姿の人間をどうやって攻略していくかに情熱を注ぐタイプなので、まず相手への興味が先にあります。

ただ、これは結構重要なことなのではないかと思ってます。

ここから話は大きく飛躍して世界平和について語ります。

よく日本のおサヨク様が言っている

「平和憲法である憲法9条があれば日本は戦争に巻き込まれない。」

これ、コミュニケーションという視点で考えた時に全く説得力がないと思ってます。

なんで、相手が自分の主張を興味を持ってくれること、理解してくれることが前提にあるのか。

僕だったら

「私はこんなに高潔な人間です。あなたもそうあってください」

なんて言っている人の言葉なんか聞きたくないし、

「あなたの事をもっと知りたい。できれば私のことも知ってください。」

こっちの方がはるかに好感が持てます。つまり、相手に興味を示してもらうには自分が相手に興味を示す方が先にあるんじゃないかと。そしてその為に外国語は必須のツールではないかと思ってます。

でも、日本の護憲派の活動家ってみんな英語しゃべれます????

”No war, No life”(戦争無しじゃ生きていけない)

とか言っちゃってません?

僕はまず、交流のツールを持つべきだと思いますね。

世界平和を願うのに必ずしも外国語が喋れる必要はないですが、

「世界平和の為に何かをしようぜ!」って主張してる人たちが外国語しゃべれないのはあまりにも説得力に欠いているのではないかと思ってます。第一歩が踏み出せてません。

言葉はツールに過ぎません。でもツールがなければ目的は果たせないんじゃないかと。

まあ、通訳通せばいいじゃんって言われたら、それまでなんですが、個人的には通訳通してコミュニケーションは間接的な薄っぺらいコミュニケーションに思えてならないし、相手への興味を示すという点で実際に相手の言語を話すよりも落ちる気がします。

ええと、まあ、話を飛躍させ過ぎたかもしれませんが、実際に交流もせずにいくら世界平和の事を語っても意味がないし、まずは実際に交流してから、現実にできることを考えてみるのがいいんじゃないかと。

日本人だけのデモに参加するよりも他の国の言語を覚えて交流する方が、世界平和にはるかに貢献するんじゃないかと思うわけです。ぶっちゃけその方が楽しくない?

ただ、日本人は外国語には抵抗のある人が多く、中学校から習う英語でさえ、苦手意識を持ってる人が多いんじゃないかと思います。

日本の英語教育には良いところもかなりあるんですが、実践力を欠いているのは疑いのないところだと思います。

じゃ、どうやって外国語を勉強すればええんや?

なんか情報商材の前振りみたいになってきましたが、それはまた次の日記で。

日記

Posted by くらっきー